昨日の日記にminami_nさん(以下南さん)からこんなコメントをいただいた。


私は、仕事が出来る人間像を目指す。
なぜか?
仕事が出来る = 金が稼げる人間 だから・・・
時代が違えば、食い物を確保できる人間を目指したんでしょうけど。
これって、「男の役割は、食い物調達・・・みたい」なものを単純に根っこに持ってるからかも。
私が女だったら、根っこには、何が植え込まれているんだろう?
コメント欄でお返事するには、今の自分にとって小さくない問題なので考えてみた。1時間ほどかかってこれだけしか書けないのもどうかと思うけれど。

 仕事のできるひと、という表現が悪かったかもしれない。キャリアウーマンと言えば良かっただろうか。極端な例しか見ていなかったのかもしれないけれど、わたしがこれまでに出会ったそういうひとたちはとても仕事ができる、そしてその仕事に費やす時間もエネルギーも半端じゃなかった。職場に住んでいると自分でも笑っていたし暇になったらあのひと死んじゃうよなんて周りにも言われるようなひとたちだった。
 わたしだって、自分が手がける仕事はきちんとやる、それは心がけている。けれどわたしはひとつの世界、たとえばあの先輩たちのように仕事のみに生きるというやり方はできないみたいだ。そういう意味で昨日の日記にはああいうふうに書いた。
 南さんの「男の役割は、食い物調達・・・みたい」という考え方は、高校生のわたしが読んだら不快感を顕わにしていただろうなあ。進路のことを両親と話していたときに「男は家族を養わないといけない、だからいい大学にいくことも必要だ、けれども女のあんたにはそんな必要は無い」と言われて反論した覚えがある。結婚しないのだからわたしだって自分自身を養わなければいけないのに、と。
 今はどうなのかというと、結婚する相手も予定も全く無いので自分自身を養わなければいけないという正にその状況だけれど、以前のようには思わない。自分だけならなんとかなるだろう。収入は多いほうがいいけれども、そういうひとたちは思考も体力も時間も精神力もわたしよりたくさん注ぎ込んでそれを得ているのだから、羨むべきことではない。と時々自分に言い聞かせている。でも交通費とボーナスがもらえる身分にはなりたいな、ははは。
 男だから女だからと言われることが嫌いだったあの頃からもう10年くらいになるけれど、女の子なんだからと大目に見てもらった部分だってあるはずなのだから、今のわたしにその考え方を嫌悪する理由は無い。南さんの考え方は、逆に言うと男性には厳しい考え方なのだからその考え方に潰されない世の中の男性はすごい。でも「だから女は外に出ず家を守れ」というのは芸が無い。わたし? 結婚することがあればそれから考える。


 ピントが外れていないか心配だけれど、これが今のわたしにできるお返事、というか考え。
 そしてふと思ったこと。わたしはわたし自身が思うほど何もできないのだろうか? 経験も能力もないけれど、前の大きな失敗は巡り合わせが悪かっただけ、とも考えられないかしら、だなんて気が大きくなり始めている。